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現代書の父
比田井天来書作品(良峯所蔵


寒巌一樹松













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比田井天来先生 略年譜
良心書道教室に飾ってあります(教室のオタカラです)
(天来先生53歳の書です  サイズ:143×36センチ)



この作品は2001年1月に鎌倉の「ギャラリ-雪の下」で出合い、ひと目ぼれ。
これまで毎年、必ず長野県望月町の天来記念館を訪れては肉筆を
拝見し、書法を目習いしてきました。今回、特に小生の大好きな
隷書作品が入手出来て大いに喜んでおります。
この年譜は「比田井天来作品集」天来先生遺墨展実行委員会の資料によります。

年号 西暦 年令 摘要
明治5 1872 1 正月23日、長野県に生まれる。幼名は常太郎。
明治2 1887 16 協和小学校恩習科卒業後野沢町有隣義塾に入り漢字を修める。
明治30 1897 26 5月上京、小石川の哲学館に入り漢学をおさめる。日下部鳴鶴について書法をたずね、詩を岡本黄石に学ぶ。
明治31 1898 27 二松学舎に転学。漢籍、金石文字学、各体字学を研究。渡邊沙鴎、久志本梅荘、若林快雪の諸氏親交を結ぶ。
明治34 1901 30 文部省検定委員に任命される。鎌倉建長寺内正統庵に独居し古典、古法を悟り剛毛筆により書法を一新、近代書芸術の基礎を作る
大正3 1914 43 日下部鳴鶴より、雑誌「書勢」の経営を依頼される。居を鎌倉に移す。松田南溟と共に新しい用筆法を発見する。
大正5 1916 45 文部省検定委員を委嘱され、8年までその任にあたる。これより2年余り、鎌倉建長寺内正統庵に独居し、古典に沈潜、古法の筆意を悟り、剛毛筆により書法を一新、近代書芸術展開の基礎を作る。
大正13 1924 53 東京代々木に居を構え、書学院の看板を掲げる。「餘清斎帖」発行。
昭和7 1932 61 東京美術学校講師になる。鎌倉の書学院建設に着手。
昭和13 1938 67 1月「慰霊之碑」および「戊寅帖」所収の作品を揮毫。2月帝大病院に入院し、手術を待つ間に大判色紙十数枚を揮毫。4月末退院。8月末再入院。11月以降は鎌倉に移り、静養のかたわら、「天来老人」または「画沙老人」と署名した二十数枚の額幅作品を特製ベッド上で揮毫。また、漢字整理の事業をすすめる。
昭和14 1939 68 1月4日没。法号、書学院殿大誉万象天来居士。